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Title: 中世集落景観と生活文化―阿波からのまなざし―
Authors: 石尾, 和仁
Issue Date: 16-Mar-2012
Abstract: 本稿では,村落住民の生活のなかから「地域社会」が形成されるとともに,生活レベルにおいてもそれが意識されはじめること,また村落景観も生業との関わりで変容することを明示した。 そもそも中世民衆が生活した村落は,屋敷地・田畠・墓地・道や河川・空閑地などが一体となったもので,これらを総体として捉えることによってはじめて「中世村落」の実相を掴むことができるようになるものと考えている。しかし,これまでの先行研究はややもすると屋敷地や田畠の増減という数量的分析に関心の中心が置かれてきていた側面も否定できない。 そこで,本稿では考古資料や絵画作品なども加味して,中世集落の景観や,そこで暮らす人々の生業も含めた生活文化の一端を明らかにすることを試みた。 第Ⅰ部「中世の集落景観」では,主に低地集落の集村化を考古学調査の成果もふまえて検討した。集落景観の変容はもちろんのこと,これと不可分の関係にある領主居館のあり様についても検討した。 発掘調査成果から確認できる鎌倉時代後期の沖積平野に立地する集落は集村化への道を歩むが,その景観は周溝を伴う屋敷地が連続するというものである。その背景には,牛馬耕の普及とパリア海退期にともなう低湿地の高燥化があると考えた。集村化がすすんだ結果,屋敷地と田畠の二分化が顕著になったのであり,その屋敷地を巡る周溝は利水・治水・区画などの役割があったことも明示した。 しかし,そうした集落の多くは,低湿地であるが故の地形的制約(出水に弱い点)や洪積台地の開発の進展にともなう集落移動,そして領主層主導の集落再編(館廻り集落の形成)などによって短命である場合も少なくなかった。特に領主層はその権力の強弱にかかわらず,中世初頭から居館の周囲に館廻り集落形成の意図をもっており,この指向性は中世後期にかけて一貫していたことも指摘した。 第Ⅱ部「阿波の中世集落」では,考古学調査の成果を重点的に用いながら徳島県内の中世集落の有り様を探るとともに,墓制と集落の関係も検討した。 中世集落遺跡を,形成された時期や立地(沖積平野・洪積台地・谷地形等)などを念頭に入れつつ概観し,墓制の変容とあわせて考えることによって,惣村の形成と墓制の変化が有機的に関連していることが見て取れることを示した。また,中世における葬法の一例である「古墳の再利用」と,その廃棄の状況から,当該期の民衆の古墳に対する心性についても検討した。そこから,墓域を継承していく姿勢と,その一方でそれを破却していく姿勢の二方向が読み取ることができる点を指摘した。前者は南北朝期を境に見られなくな ってしまうこと,また後者も新たな在地秩序が形成されていたことを示す事例であることから,中世後期の村落社会は前代とは異なった秩序のもとで歴史が展開していたことを確認した。 第Ⅲ部「中世民衆の生活文化―土地所有・銭貨・記憶―」では,中世民衆の最も重要な生活基盤である耕作地に対する農民的土地所有の問題について考えるとともに,出土銭貨から彼らの所有観念の問題を探るとともに,「歴史」が語られる意味についても検討した。 農民的(下級)土地所有権と捉えられてきた作手を、請作に伴う権利にしかすぎないことを確認することによって,中世農民の土地に対する関与の在り方を考えた。そして,作手が13世紀末にかけて漸次減少していくことをふまえて作職の成立を検討した。また,作手が畿内及びその周辺でしか見られないことから,畿内先進地域特有の土地所有形態があると考えた。すなわち,広域土地所有者が存在せず,複雑な領有関係が作手を生じさせたものと考えている。 さらに,「備蓄銭」と捉えられていた一括大量出土銭についても検討した。一括大量埋納銭については,地鎮祭祀や津波災害の防止などの祈願を含めた呪術的な埋納であったと考えているが,そのように考える前提として,鎌倉期における交換手段に何が用いられていたかを売券から探るとともに,文献史料から掘り出された銭貨が「領主」などに報告されていることを確認した。そして,それらが掘り出した者の私有物になっていない点を通して銭に対する心性を探った。 ところで,副題に「阿波からのまなざし」と付したように,本稿では阿波地域史に関わる史料を多く用いている。そこで,阿波の地域史から全体史を見ると何が見えてくるのか,この点についても言及した。 それぞれの地域にはその地域の風土に根ざした固有の生活文化があるはずであり,しかもそれが周辺諸地域と有機的に結びついているのである。文字史料は支配関係を示すものの比重が大きく,しかも阿波については残された中世史料があまりに少ないため,その欠を埋めるうえでも考古資料のもつ意味は大きい。考古学それ自体は,当該地から出土した遺物や検出された遺構を検討することになることから,本質的に地域史・地方史の視点が要求される学問である。各地域の気候風土が異なるように,出土した考古資料もその相貌は相違する。したがって,本稿でも考古学の調査成果をより多く活用している。 地域史・地方史というのは,それ独自のあり方があってしかるべきである。そして,地域史の検証の積み重ねの上に全体史を構築していくことが重要である。すなわち,阿波の地域史を積み重ねることで全体史との接点を提示すること,阿波地域史がたんに阿波地域史にとどまらない視野を常にもつことが必要なのであり,この点について意識しながら本稿を執筆した。
Description: 人文論第13号
NII JaLC DOI: info:doi/10.24795/24201o021
URI: http://usprepo.office.usp.ac.jp/dspace/handle/11355/625
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