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タイトル: 中国 : ポスト文化大革命期の民族政策ーウランフ(烏蘭夫)と華国鋒を中心にー
著者: 木下, 光弘
発行日: 2019/03/21
抄録: 本研究は、中国における「ポスト文化大革命期」の民族政策について論じるものである。その際、 エスニック ・ エリ ー トのなかでもモンゴル族出身で中央でも影響力を有したウランフの処遇と、 文革を事実上終結させた華国鋒の民族問題に対する取り組みを中心に論じている。 なぜ、この時期に着目するのかといえば、本研究が、今日の中国の発展を文革の混乱からの「建 て直し」の営みにおいて醸造されたとの認識に立つからである。同様に、今日実施されている中 国の民族政策も、文革の混乱からの建て直しを起点の一つだとすることができると考えた。ゆえ に、本研究が対象としたのは主に文革の「後期」だが、「ポスト文革期」とは単に「後期」を意味するものではない。文革的な混乱から脱しようとするさまを「脱文革(ポスト文革)」と呼び、 着目した。 また、このような「ポスト文革」という観点は、文革という時代を多面的に捉えようとする試みでもある。近年、民族問題研究を含め、文革への関心はその破壊や暴力に集中している。本研 究は、文革のこうした犯罪性を否定するつもりはない。だが、十年もの長い期間の間に破壊と暴 力を収拾しようとする動きはなかったのであろうか。 「ポスト文革」という視点を持つことで、 文革による混乱からの建て直しの「萌芽」を読み取り、次の時代へとつながる動きを見出すことができると考えた。 民族政策における「ポスト文革」を象徴するのが「ウランフの復活」である。中国共産党の草創期からのメンバーで、中国の民族工作の実務担当者でもあったウランフの処遇そのものが、民族工作そのものだともいえる。そのうえ、彼は他に失脚した少数民族幹部よりも早い段階で公職 に復帰している。 そこには、実務経験豊富なウランフの特殊性もあった。彼が復活する 1970 年代初めは、 71年 の林彪事件によって林彪派が失脚・後退した時であった。ウランフはこの補填幹部であったこと が、当時「幹部復活工作」に携わった高奇の回顧録によって確認することができる。 そのうえ、1970 年代初めは、ウランフ.の復活以外にもポスト文革的な民族政策が散見される時期である。たとえば、新たな少数民族幹部の育成が『人民日報』上で、繰り返し唱えられた。 こうしたことは、文革前期の9 60年代後半にはなかったことだ。こうしたポスト文革的な民族政策は、新祖ウイグル自治区のウルムチや甘粛省粛北モンゴル族自治県などではエスニックな生 活の回復という形になって現れている。党の機関紙から、当時の当局が少数民族地域の状況に関 心を持っていたことがわかるだけでなく、少数民族地域の現場においてもポスト文革的な芽生 えを確認することができるのである。 'なお、その後ウランフは、徐々に表舞台への登場機会が増やし、全人代副委員長に就任する。 これと同じタイミングで、チベット族、ウイグル族、チワン族の有カエスニック ・ エリ ー トも同 職に就く。一般に、閑職や名誉職ともいわれる全人代副委員長の職だが、国境を接する四民族を揃って処する人事は、民族問題の銀点から無意味なこととはいえない。これは、彼らを懐柔する ことで当局側が混乱する少数民族地域を掌握したいという意図の現われである。 ただし、ウランフの復活、民族幹部の育成、全人代副委員長人事における有カエスニック ・ エ リートの厚遇などの事実は、 「動乱の十年」とも呼ばれる文革期が、当時の民族政策は暴力に基づく残虐的な事柄ばかりでなかったことを示している。これが、 「ポスト文革期」の民族政策である。 そして、この方向性は華国鋒の登場により、さらなる進展がみられるようになる。 華国鋒政権時代の民族政策については、これまでほとんど注目されてこなかっただけではな く、そもそも民族問題に疎いとの指摘もあった。しかし、地方官吏時代に湖南省でも民族問題に 取り組んだこと、大物エスニック・エリ ー トであるウランフとの出会い、 1975 年のチベット訪 問など、党主席就任前から民族政策に関与せざるを得ない立場にあったことが、これまで見落と されてきた。 そして、権力奪取後の華国鋒はウランフを中央統一戦線部部長に任命し、自らも新彊自治区を 訪れ地元テュルク民族との交流をアピールしており、積極的に民族問題に取り組む姿勢を示した。そのうえ、革期におけるモンゴル族被害の解明に諏り組むアルタンデレヘイからは、内モン ゴル人民革命党の存在を否定や、冤罪被害者の救済案を含む指示を作成したことを高く評価されている。 これまで様々な面で過小評価されてきた華国鋒であったが、これまで萌芽程度に過ぎなかっ た「ポスト文革」を推し進めようとしており、文革的な民族政策からの脱却に大きな役割を果た した人物であったのだ。 本研究は「文革の十年」間の中に、民族政策を立て直そうという試み(ポスト文革的な民族政策)が存在していたことを、エスニック・エリートの処遇を手掛かりに明らかにした。文革のよ うな硬直化が懸念されている習近平体制だが、現在もエスニック・エリートを見直すことが、民 族問題の実態に迫るアプローチとなり得るのではないだろうか。
内容記述: 人文論第17号
NII JaLC DOI: info:doi/10.24795/24201o031
URI: http://usprepo.office.usp.ac.jp/dspace/handle/11355/579
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